「エコビレッジ」とは
What's Eco Village?

エコビレッジとは?

エコビレッジは「住民が互いに支えあう仕組み」と「環境に負荷の少ない暮らし方」を求める人びとが意識的に創るコミュニティのことです。健康で幸せなライフスタイルを望む人びとの間で着目され、今や世界各地15,000ヶ所に広がっていると言われています。

住民が協力し合って住み、食料など自分たちの暮らしに必要なものをできるだけコミュニティ内および地域のネットワークで確保することは、持続可能なまちを創造につながります。安全な食やエネルギー、環境、孤独、老後や子育てに関する不安などを解決する場となるでしょう。

エコビレッジにはこんな特徴があります

持続可能な食料自給

  • 有機的な生産方法で自分たちの食料はできるだけ自分たちでつくる。
  • 地産地消ネットワークを持つ

持続可能なエネルギー

  • 化石燃料にできるだけ頼らないエネルギー利用。太陽、風力、バイオマスなど。
  • 雨水や排水の再利用。コンポストトイレやリードベッドなどによる汚水処理。

持続可能な経済

  • 自給プラスアルファの生産で最低限必要な生活費の道を確保。
  • グリーンツーリズムや直売など地域経済を応援するような相互連携。
  • 地域通貨や市民銀行、マイクロクレジットなどの新しい経済の仕組み。

持続可能なコミュニティ形成

  • 行政に依存するのではなく自分のことは自分でするという自治を実践するために、個人のエンパワーメント、住民間の交流や合意形成のためのトレーニングの場をもつ。

エコビレッジをもっと知る

関連HP

BeGood Cafe

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日本エコビレッジ推進プロジェクト

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欧州エコビレッジ・レポート

坂本純科(06.10~08.6訪問)

エコビレッジの発祥

 エコビレッジと呼ばれる環境共生型コミュニティが、この10年くらいで次々と生まれている。といってもこのエコビレッジ、決して真新しいものではない。世界的に見ればイスラエルのキブツなど古いものもあるし、ヨーロッパでは60年代に起こった環境・平和ムーブメントの中で、非合法的に集団生活を始めたコミューンが発祥らしい。時代とともに変遷する中で、現代のさまざまな社会問題に対応して一種の社会のあり方を実践的に提示したと認知されつつある。最近では、たとえば地方自治体や専門家などのメインストリームの人たちにも注目されるようになっている。

 「人と環境にやさしいライフスタイル」なんて言うと、まるで手垢のついた下手な行政スローガンのようだが、当時、俗にいうヒッピーたちが目指したものは簡単に言うとそういうことだろう。過度に都市化・工業化した非人間的な近代社会を批判し、エコロジカルな生活を目指して、キャラバンのような仮設住宅や古い農家を改築して共同生活を始めた時代には、それは革命的な発想だったに違いない。当時は、自治体関係者はもちろん地域住民からも白い目で見られたという。彼らのコミュニティ運動はヨーロッパ各地で同時多発的に起こり、運営面、技術面で失敗も多かったが、現代社会のニーズに対していくつかの現実的な解決策を示した。ドラッグなどの問題を抱えて分裂したり消滅したものも少なくないが、そのうちのいくつかは今も形を変えて発展・存続している。

エコビレッジとは

 日本でエコビレッジの取り組みが紹介されるとき、その焦点はおおむねエコ建築や自然エネルギーなど環境テクノロジーの側面か、あるいはスピリチュアルな共同体として極端に捉えられる傾向があるように思う。しかしながら、エコビレッジの基本理念は環境面にとどまらず、社会性、経済性そして精神性における持続可能性を視野にいれていることに留意しなくてはいけない。それらは相互に関連しあっていて上手にそのバランスをとることが持続可能のキーと言ってもいいだろう。環境的にすぐれていても経済的に自立しないために破綻するケース、また健康な人間関係やコミュニケーションを欠いたために運営で行き詰まった取り組みは過去にたくさんある。

 ロバート・ギルマンによる定義では、ヒューマン・スケール、基本的要求が身近な範囲で充足でき、自然のサイクルに統合されること、そして未来に対して搾取がないこと(持続可能)をあげているが、エコビレッジ自体に認定制度などがあるわけではなく、活動の内容も団体や地域によって大きく異なる。それぞれの要素すべてをバランスよく実行することは難しく、どのビレッジも強み弱みを持っているものだ。環境技術に秀でているところ、スピリチュアルな鍛錬に力を注いでいるところ、子育てや障がい福祉などの目的を持って結束しているところ。それぞれに特徴があるのが面白い。フィンランドのエコルー村では、最初訪れたとき国全体が森に囲まれ人口密度も少ないこんなところで「エコビレッジ」なんてわざわざ作る必要があるのかと思った。しかし、シングルマザーや一人暮らしの高齢者をサポートする社会福祉的な役割の大きさを目の当たりに、他の政策には代えられないものがあるだろうと感じた。また、スコットランドのフィンドホーンは、400人の住民の生活の場になっているが、世界的な成人教育の場として多くのプログラムを提供しており、年間1万人を超える受講者が滞在しながら学んでいる。ドイツのシーベンリンデンでは、住居を建てるのに電力を一切使わず、材料の木材や藁もすべて敷地内でまかなっていた。建設には2年を超える長い時間がかかっている。自治体は建築基準法を変えて、彼らの藁の住宅に認可を与えた。シーベンリンデンの一人当たり二酸化炭素排出量はドイツ国民平均の3分の1以下という研究結果も出ている。

エコビレッジの経済とは

 お金の話は苦手という人が多いエコビレッジだが、現実的に経済問題はどこでも重要課題だ。完全共産的なコミュニティもなかにはあるが、最近の主流は家族単位の経済的自立が原則で、一定量(20~40時間)のボランタリーな労働をコミュニティのために提供するというシステムらしい。また、農作物や加工品を売ったりしてコミュニティとしても経済的自立に努力はしているが、主な収入源はビジターの宿泊費だというところが多かった。あるいは外で若干の仕事をして現金収入を得るか、貯金か公的な扶助(年金や母子家庭手当てなど)に頼っている。障がい者の生活と労働の場として作られたコミュニティは、政府から補助を受けているところもあったが、他方で、助成金の取得によっていろいろな制約を受けるという不満も耳にした。エコビレッジの多くは農山村にあること、コミュニティのために費やす労働時間が多いことを考えると、外で収入を得るのも容易ではない。農林業やグリーンツーリズムなどと連携した地域との支えあいが重要だと思われる。

 500人や1000人規模の大きなコミュニティでは、住民同士が各自できることを提供しあったり、地域通貨のような仕組みを導入したりして生活の足しにしていた。人が集まればいろいろな技術や知識も集まるものだ。たとえば元美容師や元庭師などが自分の技をコミュニティの中で活かしている。特別な技術がなくても、子どもの世話や買い物、車の運転、ペットの散歩など日常生活に必要なことをシェアしたり、ときには仕事として報酬をもらっている。身寄りも友達もいない都会の単身者は、そのようなサービスを得るために常にお金が必要だし、儲けにならない地域ではサービス自体が成り立たないので全てひとりでしなくてはならない。コミュニティを作って住むこと、住民同士が互いに助け合い、意識的に技術や場をシェアすることで、よりお金のかからない生活が実現することがわかる。核家族化がますます進む現代社会では、このような生活形態のメリットは大きいだろう。

 人に頼んだり、頼まれたりすることでトラブルが生じるのではと案じる人も多いが、このようなつながりは経済的であるばかりか、社会に埋もれている潜在的な能力を引き出し、安心できるよい人間関係をつくることにもつながる。いろいろな人がゆるやかに結び合うこと、少しの不便や煩わしさをむしろ楽しく共有することで、個人や家族単位では実現できない、多様で合理的、そして人間的に豊かな暮らしが実現できるのではないだろうか。

エコビレッジの食と農

 エコビレッジの食事は基本的にベジタリアンだ。環境に与える負荷を考え肉食(牛肉1キロ生産するのに穀物7キロ、水7トンを要する)をできるだけ減らす、有機的に栽培された食べ物を選ぶなど、エコダイエットの考え方にたっている。私も日本では馴染みの薄いベジタリアン食に最初は少しとまどったが、なるほど基本的には理にかなったものだし、料理の仕方によっては野菜だけでもなかなかいけると感心した。
 実はベジタリアンにもいろいろな種類があって、魚はOKという人もいれば動物の出すものは一切ダメという厳しい作法の人たちもいる。後者は環境や健康だけでなく、生命の尊厳など倫理的な理由から純粋菜食主義を提唱していてビーガンと呼ばれる人たちだ。かつおダシから乳製品、蜂蜜までダメなのだから、こいつは日本人にはかなりハードルが高いだろう。

 どのエコビレッジも敷地内に畑を持ち、多少なりとも野菜を栽培している。パーマカルチャー、バイオ・ダイナミック農法、福岡式農業など手法はさまざまだが、化学肥料や農薬に頼らず自然の力を最大限に活かした農法を試行している。もっとも英国やドイツなどは気候的に難しいのか、どのコミュニティも自家製野菜は夏の一時期だけで、完全な自給自足をしているわけではない。あるいはコミュニティで畑に従事する人手が不足しているのだろうか、自然農法の弱点なのだろうか。雑草に埋もれて収穫もされずに放置されている作物も多く見かけた。
 そのような課題を解決するために、農業体験の場として積極的にウーファー(ボランティア)を受け入れたり、地域の有機農家と契約して定期的に野菜を届けてもらっているところもあった。外部とのつながりを考えると、完全に自給自足を目指して閉じた関係をつくるよりむしろ好ましいのかもしれない。

エコビレッジとアート

 エコビレッジではプロ・アマチュア含め多くのアーティストに出会う。敷地内に絵画や木工のためのスタジオや中には独自の劇場まで持っているところもあった。個人個人がいかに自分らしく生きられるかを追及し、自由な感性や表現力を高めていくために、アートは重要な要素なのだろう。メディテーションや精神世界に強く惹かれる人たちも多い。

 科学や経済などのものさしでしか計られない現代社会では、わたしたち人間があたかも万能のようにふるまっているが、そういう傲慢な姿勢が多くの不公平や争いを生んでいるのは間違いない。そんな態度を反省し改め、人間の計り知れない力への畏怖の気持ちを呼び覚ますことが大切だというメッセージを彼らは発信している。伝統的な民族社会に生きる人びとは、自然や環境に対して尊敬や恐れの念を持っており、今でもサスティナブルな共生関係を築いている。そのようなプリミティブな生活に見習うべきところは多くあるだろう。

エコビレッジのコミュニケーション

 もう一つエコビレッジの大きな特徴であり、会社や行政などの組織との大きな違いは、共通した価値観と強い人間関係で結ばれた共同体であること、生活上のいろいろな決めごとについては、各々の住民が参加して決め、ともに責任をもつ点にある。利潤追求のような大儀もなく、ヒエラルキーのないグループでは、この意思決定システムがとても重要になってくる。エコビレッジを健全に運営していくための最重要課題だと言っても過言ではない。
 私の観察およびコミュニティ経験者の聞き取りから判断すると、宗教など強い精神性で結ばれているコミュニティ、私有財産を制限するなど共産的なコミュニティほど規模も大きく安定していることがわかる。最近のコミュニティはプライバシーや高い自由度を望む傾向にあるが、個々のエゴを調整するのには当然別のエネルギーを必要とするのだろう。たとえば、これは独断だが、ドイツやオランダのコミュニティに比べると、イギリス人のグループは組織やルールを嫌い、フレキシブルで自由な関係性を求めているという印象が強いが、そのせいか住民の出入りも多く、非効率な運営が目立った。
 根強い縦型社会の中で育ち、自己主張や議論自体に消極的な日本人は、互いの意見をぶつけあい、それぞれの違いを認めながら合意形成を進めていくという参加型の意志決定を苦手としがちだ。強いリーダーや細かなルールがないと、烏合の衆となりかねない。しかし、経験豊かなヨーロッパ人だって、人間関係や合意形成の難しさは基本的にはそう変わらないらしく、コミュニティの住民は「トライ・アンド・エラー(試行錯誤)」しかないと強調する。

 保守的な農村住民や自治体関係者と自由でオルタナティブを目指す人びとの間で、価値観の乖離があるのも明らかだ。20年余の歳月を経て未だに地域住民の偏見や無理解に悩むコミュニティにも出会った。一方、軋轢や衝突の時代を経て、社会から一定の信頼を勝ち得ているケースも少なくない。地域とよい関係を築きあげたコミュニティを見てみると、根気強く積極的に情報発信を行っており、何らかの形で経済的、社会的に地域に貢献したことが、周囲の人びとに認められ支えられるようになったということがうかがえる。話をした住民の多くは「よりよい子育て環境」や「安全で美しい住処」を求めてやってきた「ごく普通の人びと」だった。

 北ウェールズのあるコミュニティでは20年前に非合法で建物を建て自治体から撤去を求められていたが、長年の活動が評価を得、最近建築許可を獲得した。数年前に火事で家が焼けたときは地域住民が寄付を集めて再建に協力してくれたという。
 同じく北ウェールズのCAT(Centre For Alternative Technology)は同様の歴史を持って発足したが、80年代に方向転換をして現在のような環境教育施設と変貌した。敷地内の建物や施設はその土地で得られる環境への負荷の少ない資材で建てられ、化石燃料のバックアップを受けながらも9割近くの燃料を風力や太陽光などの自然エネルギーでまかなっている。
 ユーモアあふれるディスプレイや教材、コースを通じて子どもをはじめ一般の人びとが環境問題を学べる仕組みが人気で、毎年約7万人を超えるビジターが訪れている。レストランやショップなどのデザインも魅力的だ。今では環境を軸にした地域ビジネスや、研究機関との連携による新たな技術開発やコンサルタント業、研修や宿泊施設など多角的な運営をしている。ヒッピー・コミューンの面影はあまり感じられないが、ボランティアの集う部屋をちょっとのぞくと当時を髣髴とさせる雑然とした雰囲気を味わうことができる。全英のみならず世界各地からボランティアが集まっていることがわかる。
 もっとも、CATの創設メンバーの一人であり、グローバル・エコビレッジ・ネットワークの世界会議でもパネラーとして発言しているピーター・ハーパー氏は、エコビレッジの取り組みは「失敗」に終わったと結論づけている。つまり彼らのミッションとしている地球規模での環境問題解決に対して、「エコビレッジ」というアプローチは効果が遅く小さすぎると評価したのだ。目標をあくまでも「地球を救うこと」におくピーターとしては、そういう結論を出さざるを得なかったのだろうが、ただし、エコビレッジが導くものは必ずしも環境負荷の軽減だけではないことは彼も認めている。

 南ウェールズでは現在新たなエコビレッジ建設の動きがある。これまでの非合法フライング・スタートのコミュニティと異なり、計画段階から地域住民や自治体職員、専門家などを巻き込んで進めており、第1期住民となる10家族のほかに150人近いサポート会員がいるのが特徴だ。ホームページやパンフレットでプロジェクトの趣旨をPRし、地元住民を集めた説明会も開いている。自治体は「環境や地域コミュニティの保全に寄与する」開発とみなして従来の建築制限を緩和しているようだ。敷地内に地域住民や観光客も利用できるようなコモンスペースがあること、生活に必要なものの75%をその土地で得ることなどを条件に、協定書を結んでいる。
 このような動きの背景には英国の住宅価格の高騰がある。投機目的の住宅売買が人気となった結果、最近10年間で不動産の価格が平均3倍になったといわれている。問題はそれだけではない。風光明媚な地方町村の住宅の多くは大都会の金持ちによって所有されており、そのような地域は冬になるとゴーストタウン化してしまうというのだ。これは地域コミュニティや環境保全の見地から言って忌々しき事態と、地方自治体も頭を悩めているというわけだ。南ウェールズのラマス・プロジェクトはそのような背景を受けて、エコビレッジが地域活性につながるのではと周囲の注目を集めている。移住者のコミュニティに対する根強い反感や議会の反対などもあり、必ずしも道のりは楽ではなさそうだが、周囲への理解を求めて根気強く活動をしているところである。

 地球規模の環境問題についての知識や意識は、ヨーロッパは日本にくらべてはるかに高いと言える。英国は、いち早く産業革命やそれに伴う社会問題を経験し、多くの公的サービスを民営化したことなどから、政府だけでなく地域やNGOなどさまざまなアクターが育っている。日本でもヨーロッパの先進事例はすでに紹介・研究されているし、企業の進める個々の技術開発などは決して遅れをとっていない。しかしながら、それらの知識や技術が政策決定に活かされない。実践でつまずく背景にはしばしば社会構造や意識の問題が大きい。公害問題のように加害者が企業だった時代は、単体の技術が解決を導くことができたが、現代の環境問題は多くのほかの問題とつながっており、また行政や企業だけでなく消費者であるわれわれ市民すべてに責任がある。(もちろん消費者心理を巧みに利用する社会の仕組みやそれを野放しにする政治にも問題はあるが)
 集まって住むというスタイルは省資源・省エネルギーなど環境問題対策だけでなく、少子高齢化や治安などの社会問題にも対応したマルチな応えだと思う。とりわけ過疎に悩む地方の町村では、景観保全や農業振興、エコツーリズムなどを含む地域活性などが複合的に行われる必要があり、住民が主体となったエコビレッジ的な地域開発に学ぶことが多いのではないだろうか。ヒッピー・コミューンから成長した現代バージョンのエコビレッジを見て強くそう感じた。

 豊かな暮らしは、物を所有することからではなく、家族や隣人とのコミュニケーションや自然との対話の中で培われるものであり、実感されるものであることに、今多くの人々が気づき始めていると思う。エコビレッジのもっとも大事なねらいであり大きな産物は「人間の幸せ」や「自分らしい生き方」を追求することではないか。そういった生き方、暮らし方は主体的に考えて行動する個人の意思や想像力に始まるものであり、また時間はかかるけれども社会を変えていくアクションの一つであることでもあるのだ。

関連ブログ:欧州エコビレッジ探訪
http://ecovillageliving.blogspot.com/

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